社員インタビュー 03
TSUKASA MASAKI
馬崎 司
事務職 2009年入社

工場を0から建てた
「謎の自信」信者。

INTERVIEW

誰にもマネできないような技術を磨くことも大切。
でも、吉川化成のモノづくりはお客様も含めたチームで進めてていくもの。
だからこそ、コミュニケーションも大切にしています。しゃべれる職人、お待ちしています。

EMPLOYEE'S FACE

馬崎司は、
大阪工場の親分。

「エンジンの音を毎日聞いてたら、3年目ぐらいで不具合がわかるようになったんですよ」そう語るのは、高校卒業後10年以上モノづくりに向き合い続けてきた馬崎。現在大阪工場の現場責任者を任されている彼は、ラグビー強豪校でみがいた頼れる親分肌を活かして、現場作業員の教育や毎日の安全保持にいそしんでいる。

入社後、吉川化成に感じた「化族」のオーラ

「授業じゃできないことを」と
未知なる領域に飛び込んだ

「プラスチック射出成型・・・?」未知なる文字に好奇心をかき立てられたのが、工業高校時代の私でした。高校でも、体験したことのない仕事がしたい。そう考えて吉川化成に飛びこみました。製造志望だったのですが、最初の配属は倉庫でフォークリフトの運転。1年半たった後、「どうしても」と上司に相談した結果、製造に異動となって。一人で操縦していたフォークリフトに比べて、製造はチームプレー。自分の作業が時間内に終わらなければ、工場全員に迷惑をかけるプレッシャーを感じてましたね。

「化族」に成長するためにぶつかった課題

未経験を集めたチームで
工場を1から立ち上げる

私が吉川化成で経験した「地獄」。それは、大阪で車のヘッドライトを作るための、工場立ち上げ責任者に抜擢された時でした。
当時、「任せてください!」と謎の自信で引き受けましたが、当時の自分は工場の立ち上げなんて未経験。他のチームメンバーに関しては、生産管理に携わったことすらなかったのです。
何のノウハウもない中、品質管理の基準を定めたり、工場の生産性を向上する策を考えたり。同じくヘッドライトを作っている岩手工場の社員に教えを請いながら、一日中責任者として頭を悩ませていましたね。

社員から「化族」に化けた瞬間

世界中の社員たちが
大阪工場を助けてくれた

しかし、そんな私を助けてくれたのは世界中の「化族」でした。工場を立ち上げるまでは大阪から出たことがなかったのですが、このプロジェクトで、岩手工場はもちろん、海外の工場の技術者の方からも色々と教えて頂けて。
自ら全国の工場に足を運んで、工場設備を借りに行ったり設備の運用方法を聞きに行ったりもしました。
作業台の使い方だけでも、職人によって全く違うんですよね。そうして学んでいった色々な知識の中から「今の大阪工場に最適な手段はどれだ?」と試行錯誤していったんです。

「化族」となって残した「WOW!」

0から立ち上げた工場で
めっきり不良品を減らす。

はじめて工場で量産を開始してから6年(※取材当時)。
未経験のスタッフが集まって「どこからが不良品か」を決めていた状態から、今やめったに不良品の出ない工場を作ることができたのは、お互いに面倒くさがらず意見を出し合えた環境を作れたからだ、と思っています。
意見をぶつけ合いながら、自分の間違いがあれば素直に認める。そんなメンバーに囲まれて、現在まで続く工場を立ち上げることができました。

ADVICE

仲間の悩みを、自分事のように、
知識を活かして解決できる。

工場の立ち上げの時、世界中の拠点のあらゆるプロフェッショナルが自分を助けてくれたように。吉川化成には、誰かの困りごとに対して、それぞれの専門分野の知識を活かして全力で助けてくれる仲間がたくさんいます。その時決まって言われるのは、「同じ会社の仲間やから気にすんな」という言葉。自分事のようにお互いを助け合える環境は整っていますし、私も「吉川化成で働きたい!」と思えるような工場づくりに取り組んでいます。ぜひ遊びに来てみてください!

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